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関戸宝篋印塔[せきどほうきょういんとう]

分類 重要文化財
指定別
所在地 恵那市大井町根津
所有者 長国寺
指定年月日 昭和44年1月22日

関戸宝篋印塔

地元では「根津甚平之墓」と呼ばれており、「美濃明細記」の旧跡の項にも記載がされている。
「美濃明細記」には「恵那郡大井宿の道側に根津甚平之墓あり、信州望月之弟也、甲州武田之家臣にて鷹を追て来り此所にて死す」とあり、「美濃雑事記」には墳墓の項に、「大井駅の東石塔村にあり甲州武田信玄の家臣鷹を追来り爰に没す」とある。共に鷹を追って来りた武田家臣の墓であると記載されているが、この宝篋印塔からは、天文・天正の頃のものとは考えられず、新しくみて南北朝若しくは鎌倉期のものと推定される。
また長国寺の伝記には、正治年間信州の豪族根津甚平是行の墓とある。「共に鷹を追うてここに来り死ぬ」と記されているため、根津甚平は信州における鎌倉時代の豪族で、その頃の宝篋印塔である推察される。
この宝篋印塔は恐らく県下における最大のものの一つである。上部の九輪は折損して上に載せてあるが、基盤から九輪の頂上までの高さ2.24mに及び、基盤の幅0.95mに及んでいる。