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美濃国分寺跡[みのこくぶんじあと]
美濃国分寺跡[みのこくぶんじあと]
分類 | 史跡 |
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指定別 | 国 |
所在地 | 大垣市青野町八反田、丸山 |
所有者 | 大垣市、文部科学省 |
指定年月日 |
大正10年3月3日 |
大垣市青墓地区の中央、現国分寺南部一帯が国分寺跡である。この地は古代から交通の要所であり、近くには律令時代の三関の一つである不破関が設けられていた。
大正5年(1916)の区画整理事業の際、せん積み基壇が発見され、大正10年(1921)に塔を含めた範囲が史跡に指定された。その後、昭和43年(1968)から翌44年(1969)に、県道大垣・垂井線の工事に先行した事前調査が実施され、寺域が良好な状態で遺存していることが確認された。このため昭和46年(1971)、瓦窯跡を含めた寺域全域に指定範囲が拡大された。その後は区域の公有化が進められ、昭和55年(1980)にかけて史跡として整備が続けられた。
昭和44年から8次にわたる発掘調査がおこなわれ、寺域南限築地跡、金堂跡、回廊跡などが発見された。また、形式は金堂が西に、塔が東にある法起寺式であることが判明した。
出土した遺物は大半が瓦と土器である。なかには金銅製帯金具や吊り環などもみられる。瓦類は、複弁八弁蓮華文軒丸瓦、細弁十六弁蓮華文軒丸瓦など、白鳳時代から平安時代にかけての軒丸瓦が確認されている。
平成9年(1997)の4から7月に、公園整備に伴う範囲確認調査が実施され、南門の前面に7.5m幅の参道が延びていることと、南門の正面に幢竿が存在したことが確認された。
